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劇団シンデレラ物語 その3 ー「出会い」から広がっていくシンデレラの世界ー

2015.12.18

劇団シンデレラ

このホームページのEco Voice コーナーは、日夜、現場第一線で自然保護や環境保全に頑張っておられる方々の「現場の生の声」をご紹介し、これからのいろいろな組織や団体との交流や連携の発展につながることを期待して設置しているコーナーです。今回は「環境ミュージカル」(基金助成事業)を上演し、生物多様性保存にも貢献されている 「劇団シンデレラ」の座長の伊藤さんから3回シリーズでご寄稿いただいている3回目(最終回)の記事です。 

 1回目の記事はこちらです。 2回目の記事はこちらです。(経団連自然保護協議会)

劇団シンデレラホームページ → http://dozira.net



■愛知万博=「環境ミュージカル元年」

 劇団シンデレラが「環境ミュージカルをする劇団」として注目を集めたのは2005年に愛知県長久手市で行われた愛・地球博(愛知万博)公演です。愛知万博をきっかけに「環境ミュージカルと言えば劇団シンデレラ」と少しずつ言われるようになったこともあり、劇団シンデレラにとって「愛知万博 = 環境ミュージカル元年」といっても過言ではありません。

愛知万博は「自然の叡智(えいち)」をテーマにして121カ国・4国際機関が参加、会期中の185日間に2200万人が来場した環境をテーマにした国際ビッグイベントです。世界各国の魅力が展示されるパビリオンがずらりと並び、日本にいながら世界旅行を楽しんでいるようなステキな会場でした。

そんな夢のような場所で、私たち劇団シンデレラに「6月に行われる『一宮の日(愛知県一宮市を紹介する日)』に劇を上演してみないか」という涙が出るほどうれしいお誘いがありました。

1984年に劇団シンデレラを結成して以来、観客が少ない会場があったり、上演させて欲しいとお願いしても主催者側から「環境ミュージカル劇って何?」と門前払いされたりするなど、つらい経験もありました。それでも、悔しい思いをバネにしてセリフや歌の練習に励むだけでなく、衣装をかわいくしたり、小道具にこだわったり、劇団員らの手作りで劇団を育て上げてきました。自分だけうまく演技ができなくて涙を流しながらも練習する劇団員、緊張しながらも一生懸命笑顔を作ろうと頑張る子どもたち・・・。小さな劇団ながらも「いつかは大舞台で演技したいね」を合言葉に汗を流しました。だからこそ、愛知万博への出演依頼は天にも昇るうれしい気持ちになっただけでなく、20年以上かけて築き上げてきた「劇団シンデレラ」が認められた瞬間でもあり、これまでの苦労や努力が一気に報われた気分にもなれました。


 ■一宮に恩返しの気持ちを込めて

 愛知万博の「一宮の日」なので、劇団シンデレラとしては、練習拠点にしていた愛知県一宮市の魅力を伝え、これまで劇団を育ててくれた地に恩返ししようと演目を考え始めました。初めての国際イベントでの公演と言うこともあり、「小さな子どもからお年寄り、外国の方にも楽しんでもらいたい」と年齢や性別、国籍を超えたミュージカルにしようと劇団員で知恵を絞りました。

 一宮市は全国でも有数の繊維のまちです。市のホームページによると、古くからすでに平安時代には錦綾を生産したと伝えられ、明治以降は織物生産も工業化、洋服地を中心とした毛織工業の産地として急速な発展を遂げ、昭和初期には「毛織物王国・一宮」の名前が全国に知れ渡るようになりました。社会科の教科書で知った方も多いと思います。

そんな「せんいのまち一宮」をPRしようと考えていた時、「竹で服をつくる」というユニークな取り組みを知りました。そこで、みんなが親しみをもっている「竹取物語」のかぐや姫を登場させるとともに、一宮の竹や自然や森を守ることの大切を強調することにしました。演目は「竹取物語」にしました。

 
■タイムマシーンも登場!? 拍手喝采「竹取物語」

竹取物語は、月に住む美しいかぐや姫の嘆きから始まります。地球に行きたくても、一緒にいる番人から「私共が地上に降りられるほどの竹林の輝きがありませぬ」「緑の森が山肌になっている所も多々見受けられます」と伝えられ、イライラが募ります。何とか問題を解決しようと、かぐや姫が取り出したのが携帯電話型「時空変換機」(タイムマシーン)。この時空変換機を使って、過去に戻り、緑のきれいな地球を守り続けてもらおうという展開です。

月からエイッと投げた時空変換機を拾うのが、物語の主人公「星矢」。星矢は過去の世界にタイムスリップして、かぐや姫から“指令”を受けます。それが、竹を育てること。苦労の末に竹林を育て上げると、竹林の奥から紗織(織姫)という美しい少女が現れるとともに、竹林のあちらこちらから、「竹の精」の子供たちが一人また一人とまるでたけのこが生えるように次々と現れる。

星矢は紗織や竹の精と仲良くなる中、自分が住んでいる時代を「住む所だって、着る物だって、食べる物だって何だってたくさんある。夏は涼しくできるし、冬は暖かくできる」と自慢します。でも、その生活のために、森の木々を切り倒し、海を埋め立て、そこに住む生き物たちを困らせていることに気が付きました。

 この星矢という少年は、一見聞くとかなり立派な男の子のように見えますが、実は仕事が長続きせず、自暴自棄になっている少年です。星矢は「何をやっても失敗ばかりで、仕事もすぐにクビになって、生きる希望も目標もなくて・・・人と関わるのも嫌になりかけて。ずっと出口のない暗闇をさまよい心臓だって動いてんだか、止まってんだか、わからない負け犬、駄目人間さ」と自己卑下をしますが、紗織は「(竹をしっかり作ってくれて)人のために何か出来る、そんな人がどうして駄目人間だなんていうの」「誰にも・・あなたにも駄目人間なんて言わせない。だって、そんな優しい目を持ってるじゃない」と励まします。台本を執筆したフローレスともこ座長は「人間って無限の可能性がある。みんなにあきらめずに、どんなつらいことがあっても笑顔で前向きに生きてほしい」という思いを伝えたかったと強調していました。

 当時出演した長谷川咲さんは「太鼓演奏との融合という初めての挑戦もあり、本当に楽しい舞台だった」と振り返っていました。


 ■大切な人たちとの出会い

 2005年の「愛地球博」から2010年の「生物多様性条約COP10」までの5年の間に、劇団シンデレラには大切な人たちとの出会いが次々にありました。そんな出会いのなかで、特に重要だったのが、日本野鳥の会チーフレンジャーの大畑孝二さんと、東京でNGO活動を行うラムサールセンターの中村玲子さんです。

 大畑孝二さんとの出会いのきっかけとなったのは、前回、ご紹介した濱本真琴さんでした。濱本さんが学生時代に憧れ、レンジャーを目指すきっかけとなったのが、大畑さんが書いた『ぼくは野鳥のレンジャーだ』という本だったのです。本を読んで大畑さんに憧れた濱本さんは、当時、大畑さんが仕事をしていた北海道苫小牧市にある「ウトナイ湖ネイチャーセンター」に自転車を飛ばして会いに行ったと言います。

その話を濱本さんから聞き、大畑さんの著作を読んで感動したフローレスともこは、この本をミュージカルの題材にすること。そして大畑さんに会いに行くことを決めます。 ちょうどタイミングのいいことに、大畑さんは愛知県豊田市にある「豊田市自然観察の森」に赴任してきていました。

 
■「出会い」からシンデレラの世界が広がる

 大畑さんは、濱本さんのお話の通りの素敵な人でした。ミュージカルの台本制作の取材や、劇団員の森の観察にも気さくに案内をかって出てくださり、自分のこれまでの活動や、豊田市自然観察の森で行われている取り組みなど、様々なお話をしてくださいました。そんな大畑さんは劇団の子どもたちにも大人気。フローレスともこや劇団の子どもたちは、大畑さんを親しみをこめて「オーレンジャー」と呼んでいます。そうしてできたミュージカルが「SORA ~僕は野鳥のレンジャーだ」です。

 この「SORA」を2007年8月に豊田市で公演した際、フローレスともこの記憶にはっきりと残っているシーンがあります。それは大畑さんが自らミュージカル公演の看板を、ホール前に立てるなど一生懸命に協力してくださった姿です。本来、自分たちが応援する立場のはずなのに、いつの間にか自分たちが応援されている。その姿に感動するのと同時に、大畑さんにあらためて感謝し、絶対に期待に応えねば!と思ったと言います。ミュージカルのクライマックスで、客席でそっと涙を拭うオーレンジャーの姿を見たとき「レンジャーを応援する劇を作って本当に良かった!」と心底思ったのでした。

 そして、この大畑さんとの出会いが、次の新たな出会いを生みます。大畑さんから次のミュージカルの題材に名古屋市の「藤前干潟」を取り上げてほしい。とリクエストがあったのです。これが劇団シンデレラが「ラムサール条約登録湿地」と出会った、最初のきっかけとなりました。

 
■ラムサール条約登録湿地「藤前干潟」 アカウミガメの産卵地「表浜」

 藤前干潟はかつてゴミの処分場として埋め立ての危機にありましたが、長年の保全活動で守られ、2002年にラムサール条約に登録された湿地です。ラムサール条約は湿地を保全するための国際条約で、日本には2015年現在50箇所の登録湿地があります。この藤前干潟でも素敵な出会いがありました。「藤前干潟を守る会」理事長(当時)の辻敦夫さんには、藤前干潟を守るための熱い思いを聞きました。「藤前活動センター」の戸苅辰弥さんは、藤前干潟や生きものの面白さ、その大切さを子どもたちに伝えてくれました。いまでも劇団の子どもたちは「とがりん」と呼んで親しんでいます。そうして藤前干潟を舞台としてできたミュージカルが「ワンダーマップ大作戦!」でした。

 豊田市自然観察の森と藤前干潟は、いまでも劇団シンデレラの大切なフィールドです。藤前干潟では子ども向けの環境学習プログラム「ガタレンジャーJr.」に劇団の子どもたちが参加。いまでも藤前干潟で活動を続けています。

 さらに、大畑さんの紹介で、愛知県豊橋市の表浜へ。表浜は太平洋に面した砂浜で、たくさんのアカウミガメが産卵に来る場所として有名です。アカウミガメの産卵調査と表浜の保全活動を行っている「表浜ネットワーク」の代表、田中勇二さんに取材し、砂浜とアカウミガメをテーマとした「アカウミガメのピッピ」という作品が生まれました。

 これら愛知県内のフィールドでの活動が、2010年の「生物多様性条約COP10」へとつながっていきます。


■中村玲子さんとの出会い

 劇団シンデレラが愛知県内の様々なフィールドや湿地での活動を本格化させた頃、ひとつの大きな出会いがありました。ラムサールセンター事務局長の中村玲子さんです。

中村玲子さんと劇団シンデレラをつないでくれたのは、当時、豊田市自然観察の森で日本野鳥の会のレンジャーをしていた市川智子さんでした。市川さんは豊田市に来る前に、千葉県習志野市にある「谷津干潟」で仕事をしており、シンデレラの新しい活動場所として谷津干潟にある「谷津干潟自然観察センター」を紹介してくれたのです。市川さんの協力のもと、2006年6月に谷津干潟での公演が実現。その時に出会ったのが中村玲子さんでした。

「素晴らしかった!あなたたちとは、これから何か一緒にできそうな気がする」

ミュージカルを見終わった後で、中村玲子さんからそう声をかけられたのが、いまでも忘れられないとフローレスともこは言います。そして、その言葉は、その後のCOP10に向けての活動のなかで実現していきます。

 
■KODOMOバイオダイバーシティ

ちょうどその頃、ラムサールセンターを中心として「KODOMOバイオダイバーシティ」というプログラムが行われていました。これは、全国のラムサール条約湿地で活動する子どもたちによる交流、学習のプログラムで、各地のラムサール条約湿地に子どもたちが集まり、その湿地について学習し、湿地の保全について話し合うというイベントです。もともとは「KODOMOラムサール」という名前で行われていたのですが、この頃は2010年の「生物多様性条約COP10」を目指した活動として行われていました(「生物多様性」を英語にしたときの「Biological Diversity」から名前がつけられました)。

 シンデレラの劇団員もこの活動に参加し、全国の湿地で活動する子どもたちと交流。さらに藤前干潟と琵琶湖で行われたKODOMOバイオダイバーシティでは、ラムサールセンターからのお誘いでミュージカルの上演を行うこともできました。まさに中村玲子さんの言葉通りに「一緒に何か」を作っていけるようになったのです。

 
■COP10ガールズ

 KODOMOバイオダイバーシティでの活動と同時に、シンデレラとして独自のCOP10に向けての活動も始めました。それが「COP10ガールズ」です。COP10ガールズ立ち上げのきっかけとなったのが、2009年の10月に名古屋市国際会議場で開催された「COP10開催1年前イベント」です。そこで生物多様性をテーマとしたミュージカルを上演したシンデレラは、本格的にCOP10に向けての活動を開始しました。

 ここからCOP10開催までの1年の間に、豊田市自然観察の森や藤前干潟、名古屋港水族館や各地のイベントなど、様々なところでCOP10の開催をPR。その成果はCOP10の開催に合わせて開催された「生物多様性交流フェア」のときに現れます。このイベントには、 ラムサールセンターや藤前干潟、表浜など、これまでシンデレラが作品の制作で関わりを持った様々な団体がブースを出していたのです。COP10ガールズは、心をこめてそれぞれのブースでミュージカルを披露。イベントの盛り上げに貢献すると共に、来場者に生物多様性の重要性を伝えました。その様子は各新聞社やテレビ局に取り上げられ、注目を集めることにもなりました。

 
■「COP10」から「ESD」へ

 COP10ガールズの活動が終わった頃、環境をひとつのテーマとした国際会議が、2014年に再び名古屋で開催されることが決まりました。それが「ESDユネスコ世界会議」です。ESDとは「Education for Sustainable Development=持続可能な開発のための教育」のこと。人が地球環境を持続可能な形で利用しながら、文化的な生活を維持していくためには教育が重要であり、そのための教育や学習の大切さを伝えるものがESDです。シンデレラもこのESDに注目。しかし、最初はどのようにアプローチすればいいか分かりませんでした。そうしたとき、再び声をかけてくださったのが中村玲子さんでした。

 この頃、ラムサールセンターでも「KODOMOバイオダイバーシティ」後の活動を模索しており、シンデレラと同じようにESDに注目していたのです。ラムサールセンターはそれまで行ってきた、湿地で活動する子どもの交流、学習活動を「ESDのためのKODOMOラムサール」というタイトルで再び始めることを決定。シンデレラに「一緒に活動を始めましょう」と誘ってくださったのです。

 2011年6月に東京の代々木公園で行われた「エコライフ・フェア」が、ESDのためのKODOMOラムサールの立ち上げの場となりました。シンデレラもそれに協力。代々木公園の野外ステージで初の東京公演を行いました。ここから、劇団シンデレラのESDに向けての活動が始まりました。

 ■アジアでの公演活動

 ESDでの活動に向け、シンデレラでは新たなミュージカルの制作にかかりました。それが「ESD生きものミュージカル ネイチャー」と「ESD森のミュージカル みどりの森のシンデレラ」です。この2つのミュージカルによりESDのためのKODOMOラムサール活動に協力。藤前干潟や琵琶湖で行われたプログラムの際に公演を実施し、さらには「生物多様性条約COP11」が開催されたインドのハイデラバードや、タイのナコンサワン、バンコクなどアジアでもKODOMOラムサールが実施され、そこでも公演の機会をいただくことができました。

それらアジアでのプログラムには日本から参加の子どもたちもいましたが、多くは現地の子どもたち。当然、英語で上演しなければストーリーも「ESD」についても伝わりません。そこで台本を英訳してもらい英語のセリフで上演しました。英語のセリフを覚えるのはたいへんでしたが、劇団員には英語の勉強にもなり、シンデレラの活躍の場を広げることにもつながりました。

 ■日本中のラムサール条約湿地へ

 ESDに向けての活動では、経団連自然保護基金にもたいへんお世話になりました。中村玲子さんの紹介で2013年度から助成金をいただき、KODOMOラムサールへの協力と共に、シンデレラ独自の活動も開始。各地の施設やイベントでの公演に加え、ショッピングモールなど商業施設でも公演を行いました。2014年11月の「ESDユネスコ世界会議」開催の際には、「あいち・なごやESD交流フェスタ」において最後のESD公演を実施し、会議の盛り上がりに貢献することができました。

また、日本の各ラムサール条約湿地での公演活動にも新たな工夫が加わりました。単にミュージカル公演を行うだけでなく、シンデレラとして独自の交流会を開催するように なったのです。現地の湿地で活動するレンジャーや子どもたちと一緒に「湿地を観察、学習して話し合う」。「ミュージカルにも出演してもらい、一緒に歌って、踊る」。そうすることで湿地に対する理解が体感的に深まり、子どもたちの絆は深まり、湿地を保全していくための仲間が増え、ネットワークが構築されていきました。まさに、シンデレラ・オリジナルの「ESDプログラム」を作ることができたのです。

 こうした交流活動の成果が一昨年にひとつの形になりました。ユースラムサールジャパンというユース世代(中学生~大学院生)による、新しい湿地の保全グループができたのです。このグループは、これまでシンデレラが公演活動を行ってきた、北海道美唄市の宮島沼や宮城県大崎市の蕪栗沼、藤前干潟や琵琶湖などで活動するユースが中心となって立ちあげたもので、シンデレラの劇団員も中心メンバーとして加わっています。

  私たち劇団シンデレラは、これまでたくさんの人たちに支えられながら活動を続けてきました。この場を借りてお世話になったすべての人たちに深く感謝いたします。

そしてこれからも、ミュージカルで「伝え・応援し・人をつなぎ・自然を守る」ことを目指し、日本のラムサール条約登録湿地50箇所での公演。さらにはアジアをはじめとした世界各地での公演に向け、活動を続けていきます。


 1回目の記事はこちらです。 2回目の記事はこちらです。

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